岡山城、後楽園
後楽園からみた岡山城

戦国時代の武将・宇喜多直家は備前の国を平定、ここに小さな城を築きました。
その跡を継いだ子の秀家は大きな城郭と天守閣、城下町づくりを手がけ、
1597年に岡山城を完成させました。
秀家は豊臣秀吉の重臣となりましたが、関が原の戦いで敗れたため、
30代半ばにして八丈島に流され、80歳で亡くなるまでそこで過ごしたとのこと。
尚、天守閣は太平洋戦争で焼失し、昭和41年に消失前とそっくりに再建。
黒色の城はカラスのようなので別名は「烏城(うじょう)」。
後楽園といえば、金沢・兼六園、水戸・偕楽園とならぶ日本三名園のひとつ。
江戸時代の城主、池田氏によって作られ、広くて、池と芝生と茶室がみごとに調和しています。

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まだまだ暑い日が続きますが、今朝の新聞によると、
今日から京都でも一部の小学校で2学期が始まるそうです。
冷房がなかったら、子供たちもたいへんでしょうね。
さて私は22、23日に一泊二日で岡山・倉敷まで家族旅行へ行ってきました。
まだまだ暑い日が続きますが、今朝の新聞によると、
今日から京都でも一部の小学校で2学期が始まるそうです。
冷房がなかったら、子供たちもたいへんでしょうね。
さて私は22、23日に一泊二日で岡山・倉敷まで家族旅行へ行ってきました。
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戦国時代の武将・宇喜多直家は備前の国を平定、ここに小さな城を築きました。
その跡を継いだ子の秀家は大きな城郭と天守閣、城下町づくりを手がけ、
1597年に岡山城を完成させました。
秀家は豊臣秀吉の重臣となりましたが、関が原の戦いで敗れたため、
30代半ばにして八丈島に流され、80歳で亡くなるまでそこで過ごしたとのこと。
尚、天守閣は太平洋戦争で焼失し、昭和41年に消失前とそっくりに再建。
黒色の城はカラスのようなので別名は「烏城(うじょう)」。
後楽園といえば、金沢・兼六園、水戸・偕楽園とならぶ日本三名園のひとつ。
江戸時代の城主、池田氏によって作られ、広くて、池と芝生と茶室がみごとに調和しています。
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Comments
ふらりさんは家族旅行でしたか。
いいですね~
いいね~岡山県も。
大昔に行ったんで忘れました。
後楽園も懐かしく見ています。
倉敷も楽しみにしています。
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