ふらり京都、旅して日本 紅葉の乙訓寺と早良親王

紅葉の乙訓寺と早良親王

784~794年に都があった長岡京市、向日市。これは乙訓寺の菩提樹池田、光明・乙訓寺 186
  

 

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京都盆地の南西部にあたる、旧乙訓郡(向日市、長岡京市、大山崎町のこと)。

15日、光明寺の次は乙訓寺(おとくにでら)へ行きました。

 

今は新しい住宅地ですが、少し前までは、のどかな田園地帯だったと思います。池田、光明・乙訓寺 222

 








このあたり、向日と長岡が市になる前は乙訓郡の一部でしたが、地名がそのまま寺名。池田、光明・乙訓寺 213

門をくぐるとモミジ
池田、光明・乙訓寺 216 

本堂
池田、光明・乙訓寺 177

菩提とは「悟り」という意味。釈迦はこの木の下で悟りを開きました。

池田、光明・乙訓寺 217

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乙訓寺は真言宗ですが、寺の起源は古く飛鳥時代だそうです。

平城京では、奈良仏教の力が大きくなりすぎて、
784年、桓武天皇(737年~806年)は奈良からこの長岡に都を移します。

翌年、天皇の重臣で、長岡京造営の最高責任者だった藤原種継が、
弓で射られて亡くなりました。

天皇の同母弟である早良(750~785年)親王は、奈良仏教とつながりが大きかったことや、
種継と仲が良くなかったことなどから、犯人と疑われて、この乙訓寺に幽閉されたそうです。

 

池田、光明・乙訓寺 218 

早良親王は無実を訴え続けますが、流罪となり、
西国へ送られようとし、その途中に憤死したとのこと。

その後、皇族、貴族に不幸が立て続けに起こったりしたのは、
親王のたたりも原因の一つと考え、 都を今の京都に移し、
たたりを抑えるため、御所の近くに御霊神社が建てられました。


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池田、光明・乙訓寺 187

きれな紅葉も親王はどんな気持ちで眺めたのでしょうか・・・・池田、光明・乙訓寺 195 
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Comments

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こんにちは。乙訓寺も紅葉がきれいなんですね。

牡丹の時に伺いましたが紅葉もなかなかですね。
by: 京しんさん | 2009/11/19 12:18 | URL [編集] | page top↑
# こんばんは♪
京都ふらりさん、こんばんは☆彡
巨木好きの僕は、最初の写真にひきつけれられました。素晴らしいお写真です。

また、私は真言宗の高校に行っておりましたが、乙訓寺の存在さえ知らず。。
恥ずかしい限りです。またふらりさんに教えていただきました。
いつも、ありがとうございます。
by: AKIRAさん | 2009/11/18 20:33 | URL [編集] | page top↑
#
京都ふらりさん、こんにちわ。

今は京都はどこも紅葉できれいなんでしょうね。
さすがにこの辺は観光客も少なく穴場のようですね。
とっても雰囲気があります。

でもなんかここの菩提樹の見事さがかえって
早良親王の思いが駆け巡りそうです。
by: 紫香楽 秀山さん | 2009/11/18 14:52 | URL [編集] | page top↑

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