京田辺、梅の一休寺

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2月8日は近鉄にのって京田辺へ行きました。
近鉄の駅は昔からあるのに「新田辺」。田辺町から京田辺市になったのは約10年前。人口6万5千。
駅を出ると、一休さん(1394~1481年)の像。
ここは室町時代、一休さんが63歳から88歳で亡くなるまで過ごした町です。
京都と奈良の中間にあり、ともに近鉄で20分、JR片町線に乗れば大阪の都心へも40分で行けます。
20年ほど前には同志社大学のキャンパスもでき、数キロのところには関西学研都市もあります。
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でも、関西は東京ほど人口集中が進まなかったこともあり、
まだまだ田舎っぽい感じも残っています。
この町に最初に来たのは、高校に入ってすぐの時。
野球部に入った最初の日曜日、田辺高校へ試合にきました。
とは言っても、先輩たちの試合を見ていただけですが。
駅から15分ほど西へ歩いたら、「一休寺」の表示。
ここからさらに500m程歩きます。
道端の梅がきれい。
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一休寺に到着。
臨済宗・一休寺は禅師・一休宗純(1394~1481年)が63才から88才で亡くなるまで過ごした寺。
お寺の入口
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お寺に入ってすぐ右手に一休さんのお墓。
お墓の前には宮内庁の標。そう、一休さんは天皇の子なのです。しかも長男にあたる子でした。
父の後小松天皇は、室町時代になって分裂していた南北朝が統一された時の天皇。
一休の母は、天皇の子を身ごもりましたが、周りからねたまれ、
出産する前に宮中から追い出され、
都の西にある嵯峨で一休を産み、細々と育てました。
ところが、天皇の血筋争いをしていた時代ですから、
天皇の跡取りとなる可能性を残している一休が、命を狙われることもあると考え、
6才の時、京都の町の中(今の四条大宮付近)にあった安福寺に預けました。
その安福寺での話がアニメになりました。
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アニメは1975年から8年も続きました。平均視聴率は24%もあったとのこと。私もよく見ていました。
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本堂のそばの一休像。一休は僧としても出世し、81才で京都の大徳寺の住職になりますが、
「このはし、わたるな」。私もこの標識に従って、真ん中を渡りました。
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お寺の東側に咲く梅。
空もきれいでした♪
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Comments
ブログ村から来ました。
叔母が一休寺のお手伝いに行っていたので
子供の頃、何度か行った事があります。
なつかしく思い読ませていただきました。
梅がとてもキレイですね。
突然失礼しましたm(__)m
命を狙われる存在でいらっしゃったとは・・・そうだったんですか、改めて勉強になります。
京田辺市にあるんですね。
近鉄沿線かな?
時間のあるときに行ってみようと思います!
一休寺は紅葉の時に
でかえますが
この時季は静かなんでしょうね。
納豆試食しましたが
これはご飯かお酒と合うのかと。
辛くて辛くて(笑)
わぁ~~一休さんのお寺ですね。。。
私も、あの可愛いアニメ よく見ていました~~!
アニメは、8年も続いたのですね。。。
懐かしいです。。。。
紅梅もとっても綺麗!
お写真楽しませていただきました~!
~(人´∀`).☆.。.:*・
梅もなかなか満開ですかね?
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