樫原廃寺跡
樫原(かたぎはら)廃寺跡。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
京都盆地の西南部、阪急桂駅から南西2キロのところです。
「史跡・樫原廃寺跡」。

公園の中に八角形の舞台のようなものが。空飛ぶ円盤の発着場のようにも見えます。

実はこれは昭和40年代に発見された塔の基礎の部分を、復元したものです。
花崗岩でできた八角形の礎と、廊下の跡などがみつかりました。
600年代後半に建てられたと推定されています。
聖徳太子が亡くなってしばらくして、大化の改新があったころですね。
これが復元図

そのころ、この京都盆地の西部は渡来人・秦氏の力が強く、
秦氏の建てたお寺であろうと推測されています。
(秦氏の中でも秦河勝は、聖徳太子の側近であり、頭脳でもありました)
舞台の上。

この樫原、今は住宅地ですが、私が子供の頃の昭和40年代は竹藪が多くて、田舎っぽい感じでした。
でも近くには前方後円墳(だれのものかは不明)もあり、古くから栄えていたようです。
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桜の木。

葉が少しずつ色づいてきました。

朝露も。

京都盆地の対角線にある比叡山まで見えます。秋らしくなってきましたね♪

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京都盆地の西南部、阪急桂駅から南西2キロのところです。
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実はこれは昭和40年代に発見された塔の基礎の部分を、復元したものです。
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600年代後半に建てられたと推定されています。
聖徳太子が亡くなってしばらくして、大化の改新があったころですね。
これが復元図

そのころ、この京都盆地の西部は渡来人・秦氏の力が強く、
秦氏の建てたお寺であろうと推測されています。
(秦氏の中でも秦河勝は、聖徳太子の側近であり、頭脳でもありました)
舞台の上。

この樫原、今は住宅地ですが、私が子供の頃の昭和40年代は竹藪が多くて、田舎っぽい感じでした。
でも近くには前方後円墳(だれのものかは不明)もあり、古くから栄えていたようです。
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Comments
もっと緑豊かで、自然に溢れて素晴らしかったんでしょうね。
この復元計画、ぜひとも進めていただきたいですねぇ。
…と思っても多くの資金が必要なんでしょうか、やはり…。
京都にはまだまだ知らない歴史が数多くありそう。
京都ふらりさんのブログでこれからも勉強させて
いただこうと思っています♪
ここは僕の家の近くですねぇ。。(笑)
いろんなところに行かれてるんですね。これからもよろしくおつきあいくださいませ(^^)
こういったところがあるのですね~
復元計画はないのでしょうか^^
とても風情のある姿だっただろうなぁと思います...
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