天神川五条

最近、暑さも和らぎ、歩きやすくなってきましたが、
少し多忙で、ゆっくりとしたお出かけができていません。
近場の散歩や用事のついでに撮った写真でブログを作っております。
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さてさて前回の続きです。
西京極球場を後にして、天神川通りを北へ向かいます。
天神川通りは平安京の一番西の大通である、西京極大路にほぼ相当すると考えられています。
平安時代の都の中心は今より1kmほど西にありました。
ちょうど現在JR山陰線が南北に通っているところが、都の中心であった朱雀大路で、
その2kmあまり東西に東京極大路、西京極大路がありました。
東京極大路は今の寺町通りあたり、すなわち鴨川のあたりとされます。
この北の突き当りには、御室御所(おむろごしょ)と呼ばれた仁和寺(にんなじ)があります。
ただ平安時代、都の西半分は湿地帯が多く、平安後期にはかなり荒れ果てていたそうです。
大路はなくなりましたが、西京極という地名だけが残りました。
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天神川五条交差点。
交差点を東へ曲がると、五条通り。光華女子学園が見えます。
光華女子学園は、1939年、昭和天皇妃の妹である大谷智子さんが創立しました。
幼稚園から大学まであります。
北京オリンピック3000m障害に出場した早狩選手は同志社大学出身ですが、
現在、光華女子学園の実業団陸上部に所属されています。
入賞はなりませんでしたが、
女子で35歳で初めてのオリンピックはすごいですね~
毎年冬の都道府県対抗女子駅伝には高校1年から19年連続出場中とか。これもすご~い。
創立者の大谷智子さんは、皇族である久邇宮朝彦親王の子として生まれ、東本願寺に嫁ぎました。
そこで、仏教に基づいた教育を実践するために、光華女子学園をつくりました。
東京から京都へきて、皇室からお寺に嫁ぐって、本人はどんなお気持ちだったのでしょうね。
ちょっとわれわれでは想像できませんね。
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Comments
ニラの花、私も今日アップしました^^可愛い花ですよね。。。ポチッ!
先日から地元新聞で、五木寛之の「親鸞」の連載が始まりました。
現在は京都が舞台なので、京都へ思いを馳せています。(^^)
いつもありがとうございます。
なるほど~と拝見しました^^
最後の花も印象的な色合い...
応援ポチ!
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