高瀬川・土佐藩邸跡
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高瀬川は舟運のために江戸時代に作られた運河で、鴨川と平行に、100mほど西を流れます。
大阪から淀川を上ってきた舟が、京都の南にある伏見から高瀬川に入り、この街中まで来ました。
このあたりには、かつて木屋(木材屋)が並んでたことから、
今でもこの高瀬川に沿う道を木屋町通りといいます。
三条と四条のちょうど中間あたりに、いい感じの橋が架かっています。
渡ると、立誠小学校跡。
高瀬川は舟運のために江戸時代に作られた運河で、鴨川と平行に、100mほど西を流れます。
大阪から淀川を上ってきた舟が、京都の南にある伏見から高瀬川に入り、この街中まで来ました。
このあたりには、かつて木屋(木材屋)が並んでたことから、
今でもこの高瀬川に沿う道を木屋町通りといいます。
三条と四条のちょうど中間あたりに、いい感じの橋が架かっています。

渡ると、立誠小学校跡。

江戸時代はここに土佐藩邸がありました。
明治の始め、その跡地に立誠小学校は建てられ、この校舎は昭和初期の建築だそうです。
しかし、都心部の人口減少に伴い、平成5年に廃校になりました。
高瀬川を作った角倉了以(すみのくら・りょうい)と高瀬舟。
学校の周りは、繁華街。飲み屋さんもたくさんあります。
真向かいはバンド募集とありますから、ライブハウスのようです。
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学校の北側。
裏通りを一つへだてたところに土佐稲荷。 ここも旧土佐藩邸内でした。
この神社、最初は岬神社とよばれ、室町時代に、この少し東の鴨川の中洲に建てられたそうです。
それを、江戸時代にこの土佐藩邸内に移したことより、土佐稲荷を呼ぶようになったとのこと。
土佐出身の龍馬。龍馬の京都滞在時の下宿は、ここより少し北の高瀬川沿いだったそうです。
暗殺される場となった旅館近江屋は100mほど西にありました。
このあたりを中岡慎太郎らの仲間と歩きながら、日本の将来を一生懸命考えてたんでしょうね。
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Comments
水の流れも穏やかそうで素敵ですね。
いつも応援ありがとうございます。
ホッとしました
坂本龍馬は竜馬ではなかったんですね。
知らないでいました(@。@”
大好きな人なんですけどね~^^ヾ
こういった風情のある川のある風景はとてもいいですね。
夏は涼しげでもありますし。
また土佐藩との関係も興味深く拝見しました。
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