西院・高山寺
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西大路四条交差点の付近は西院とよばれます。
平安時代の初期に、淳和天皇がここに離宮を建てましたが、
御所より西にあることより西院と呼ばれました。
「西院」は阪急電車では「さいいん」、京福電車では「さい」と読み仮名がうたれていますが、
地元の人は皆、「さいん」と呼びます。
その北東角にあるのが高山寺(こうさんじ)。50m四方ほどの小さなお寺。
この高山寺も淳和院(西院)跡の一部のようです。
バス停がちょうどこの前にあって、子供の頃は、祖母や叔母の家の帰りにここでバスを降りたから、
西大路四条交差点の付近は西院とよばれます。
平安時代の初期に、淳和天皇がここに離宮を建てましたが、
御所より西にあることより西院と呼ばれました。
「西院」は阪急電車では「さいいん」、京福電車では「さい」と読み仮名がうたれていますが、
地元の人は皆、「さいん」と呼びます。
その北東角にあるのが高山寺(こうさんじ)。50m四方ほどの小さなお寺。

この高山寺も淳和院(西院)跡の一部のようです。

バス停がちょうどこの前にあって、子供の頃は、祖母や叔母の家の帰りにここでバスを降りたから、
昔から知ってるお寺ですが、初めて中に入りました。
お地蔵さん。
この高山寺、浄土宗のお寺ですが、「西院(さい)」の地にあることより、
「賽(さい)の河原」の賽と同じに見られるようになって、
賽の河原を守るお寺といわれるようになったとのこと。
「くろだに(黒谷)」は東山にある本山の金戒光明寺のことです。(総本山は知恩院)
ご詠歌の意味はこんなところでしょうか?
「黒谷を朝早く出発したら、もう高山寺に着いた。ここには賽の河原の守る仏様がいらっしゃる。」
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「賽の河原」とは、小さくて亡くなった子供たちが、三途の川を渡る河原のことで、
地蔵菩薩がそこで子供たちを守って下さいます。
蓮
なでぼとけ
いつも前を通るだけのお寺で、どんなお寺なのか少しは気にはなってたんですが、
おじぞうさんのお寺だったんですね。
なんか胸のつかえが取れた感じです。
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Comments
農家があって,軒下に様々な農機具、鋤や鎌がぶら下がっていました。今は一変してしまいましたが、それでも東北の角には同じ寺がありますね。阪急が地下鉄を掘ってから水脈が変わり、我が家の井戸水が枯れました。近所の染物屋が大変困っていましたが、確かこの寺の井戸には水が張っていた。大宮や西院は大変懐かしい、記憶を辿れば幼稚園の頃から思い出せそうです。おもいだし、ふたたびあの頃のことを見直してみる作業は大変心地良いものです。
公共施設でもよみかたが違うなんて...
奥が深い世界ですねぇ。
お寺はなかなか立ち入れない私です。ちょっとお宮と違う雰囲気に躊躇するんですよね~
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