洛西・十輪寺

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京都市西南部、大原野。

このあたり、今もまだ田園地帯が広がりますが、
平安京ができる前の784年から10年間、長岡京がおかれ日本の中心であった所です。
善峰寺へ上る道沿いにあるのが十輪寺

門の前にはアジサイ


中に入ります。

京都市西南部、大原野。

このあたり、今もまだ田園地帯が広がりますが、
平安京ができる前の784年から10年間、長岡京がおかれ日本の中心であった所です。
善峰寺へ上る道沿いにあるのが十輪寺

門の前にはアジサイ


中に入ります。

十輪寺は、平安時代初期の850年に文徳天皇の皇后が、
世継ぎ誕生を祈願して、伝教大師(最澄)の作った延命地蔵菩薩を安置したのが始まり。
めでたく皇子(後の清和天皇)が生まれたため、
今でも子授かり、安産のお寺として信仰されています。
世継ぎ誕生を祈願して、伝教大師(最澄)の作った延命地蔵菩薩を安置したのが始まり。
めでたく皇子(後の清和天皇)が生まれたため、
今でも子授かり、安産のお寺として信仰されています。
又、伊勢物語の主人公とされる在原業平(ありはら・なりひら 825~880年)が晩年暮らしたそうです。
業平は桓武天皇のひ孫であるものの、父が権力抗争で敗れたため、皇室を離れ、
在原を名乗り、朝廷において宮仕えをしました。
伊勢物語には、後に清和天皇の后となった藤原高子や、
伊勢神宮の斎宮との恋愛が書かれているそうで、女性になかなかの人気があった男性のようです。
業平は桓武天皇のひ孫であるものの、父が権力抗争で敗れたため、皇室を離れ、
在原を名乗り、朝廷において宮仕えをしました。
伊勢物語には、後に清和天皇の后となった藤原高子や、
伊勢神宮の斎宮との恋愛が書かれているそうで、女性になかなかの人気があった男性のようです。
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本堂は1750年に藤原北家によって再建されたものですが、屋根が独特。



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本堂の裏を上っていくと、

業平の墓

もうすこし行くと塩焼き窯(かま)。 (窯は復元されたものです)

業平は、大阪から取り寄せた海水をこの釜で煮て塩を作る、いわゆる「塩焼き」が好きだったそうで、
青い煙を上げては、昔のことを思いだしていたとのこと。
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青い煙を上げては、昔のことを思いだしていたとのこと。
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毎年11月23日の塩窯祭には塩が焼かれ、紅葉がてんぷらにされて、訪問客にふるまわれるそうです。

善峰寺は人が多かったですが、十輪寺にいた20分間、参拝客は私一人でした。
まだ田舎っぽさが残る、大原野らしいお寺でした。


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Comments
風情のある写真、とくに最後の写真は惹かれますね。
また最初の東海自然歩道、当然ながら九州では九州自然歩道なのですが、少し新鮮でした。ポチ!
今と違って10年では町並みもほとんど変化が無かったのでしょうかね
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