ふらり京都、旅して日本 善峰寺のあじさいと桂昌院
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善峰寺のあじさいと桂昌院

知積院、善峰寺 124

  

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京都盆地の南西端、西山の中腹に建つ善峰寺(よしみねでら)
知積院、善峰寺 084


長岡京遺跡のある阪急電鉄・西向日(にしむこう)駅から西へ6km程の所です。



山の中腹にあるお寺ですが、標高は300m程でしょうか。
知積院、善峰寺 089


天台宗系の単立寺院知積院、善峰寺 239


西国33ヵ所めぐりの20番目札所知積院、善峰寺 245


あらゆる痛みにご利益があるそうです。
知積院、善峰寺 242


見下ろすとこんな感じ。 知積院、善峰寺 216


山の中なのにとっても広い境内です。建物だけで20程あります。
知積院、善峰寺 105



善峰寺は平安時代中期の1029年に源算上人によって開かれました。
鎌倉時代には、法然の弟子で、西山浄土宗の開祖である証空が住職を務めたことがありました。

応仁の乱で建物が焼けましたこともありましたが、
徳川家光の側室に入り綱吉を生んだ桂昌院によって、いくつもの建物が再建されました。



1万株あるとされる、あじさい園
知積院、善峰寺 134



約10年ぶりに訪れましたが、なかなかの名刹(めいさつ・・名高い寺)ですね。


日本一の松の木もあります。
桂昌院はもともと京都の八百屋の娘で名を「お玉」といい、「玉の輿」の語源となった方だそうです。




知積院、善峰寺 135



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善峰寺の庭園にある幸福地蔵。徳川綱吉の母、桂昌院もこのお地蔵様にお願いをしたとのことです。
知積院、善峰寺 128


その舞台のまわりに、1万株のあじさい。
知積院、善峰寺 188



知積院、善峰寺 144



昨年、京都一といわれる宇治の三室戸寺のあじさい苑をみましたが、
それと同じように山の斜面にひろがります。
知積院、善峰寺 172

知積院、善峰寺 133

まだ咲きはじめだからでしょうか、オーソドックスな青色のあじさいが多く、
赤いのは少しで、ガクアジサイは見当たりませんでした。 赤色やガクアジサイはこれからなのかな?
知積院、善峰寺 165


知積院、善峰寺 150


知積院、善峰寺 154


知積院、善峰寺 157 

なかなか見ごたえのある、あじさい苑でした。
知積院、善峰寺 152

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善峰寺の入り口付近には「日本一の松」という表示がいくつもあります。
知積院、善峰寺 101


それが本堂の右手にあるこの木
知積院、善峰寺 117


知積院、善峰寺 113


高くはありませんが、実は、太い幹が横にのびていて、名は「遊龍松」
樹齢500~600年とされ、かつては54mあったそうですが、 10年ほど前、松くい虫にやられ、15mだけ切ったとのこと。

知積院、善峰寺 114



知積院、善峰寺 109


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このお寺を建てた源算上人は、
平安時代の中期である西暦980年頃に生まれたものの、すぐに捨てられました。
息のあるところを拾われ、やがて、大きくなると仏門に入り、比叡山で修行しました。

当時は末法思想が広がり、この世は間もなく終末期へ進むとされ、
仏や神にすがるために、平等院などいろいろな寺社が建てられました。

そんな世の中で、1029年、比叡山とは対角にある、この京都の南西の峰に、
源算上人が小さなお堂を建て、自ら刻んだ千手観音を安置したのが、 善峰寺の始まりです。

知積院、善峰寺 179


その後、皇室や鎌倉幕府などの援護を受け、大きくなり、50もの住坊を持つようになりました。
ところが1467年にはじまった応仁の乱で、焼かれ、一時衰退しました。

知積院、善峰寺 223


その後、江戸時代の初期、1627年に京都の八百屋にお玉という女性が生まれました。
お玉は子供のころ、この善峰寺の熱心な参拝者であった親につれられ、よく来ました。

やがて、お玉は3代将軍家光の側室だった皇族出身のお万の方の小姓として大奥にはいったところ、
家光に見初められ、5代将軍となる綱吉を生みました。

綱吉が将軍になると、お玉は桂昌院(けいしょういん)となり、大奥でも大きな力を持ったそうです。
そこで、子供の頃の懐かしき善峰寺を復興させるため、
1690年頃、現在まで残る本堂や山門など多くの伽藍(がらん・・建物)を建てました。

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桂昌院の建てた薬師堂。善峰寺の一番高いところにあります。
知積院、善峰寺 191


「玉の輿(こし)」とは、このお玉が語源だそうです。
(輿とは「みこし」のように人を乗せて運ぶ物ですが、それから転じて「嫁入り」の意味があります。)
桂昌院は亡くなったあと、江戸の増上寺に葬られましたが、遺髪がこの善峰寺にも埋められました。


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薬師堂と庭
知積院、善峰寺 205


知積院、善峰寺 201


知積院、善峰寺 250


知積院、善峰寺 203


桂昌院像。犬が一緒にいますね。生類憐れみの令は、
動物はおろか人間まで簡単に斬られる世の中を良くしようと思い、桂昌院が綱吉に勧めたそうです。
知積院、善峰寺 193

いやいや、私の家のある西京区の一番奥にある寺としか思ってなかった善峰寺ですが、
歴史を追求すると、お寺めぐりも、本当に面白いです♪
桂川が関係あるお寺だなんて、初めて知りました。

桂川より西南の地域が西京区ですが、古くからは「桂(かつら)」と呼ばれます。
桂離宮や阪急の桂駅があります。

江戸の徳川将軍の母で、大奥の最高権力者だった桂昌院の「桂」が、
私の地元のこの「桂」からとった名だとすれば、驚きですね。 

歴史を探究すると散歩も本当に楽しくなります♪

 


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07:45 | 阪急 西向日・長岡天神 | comments (4) | trackbacks (0) | edit | page top↑
一言寺の紫陽花 | top | 智積院のキキョウ

Comments

# こんにちは☆
見晴らしがいい場所ですね~。
なかなかバスなどでは行きにくい
場所だけに行った事がありません。

山手の方の花見はこれから涼しそうで
いいですね。
by: 玉鬘(たまかずら)さん | 2008/06/14 10:28 | URL [編集] | page top↑
#
こんにちは。
まず立派な楼門?に圧倒されました。
景色もすごくいいところですね、健康になれそうです^^
応援ポチ!
by: ゆったり人さん | 2008/06/13 16:35 | URL [編集] | page top↑
# 聞いたことのある名前ばかりが…。
こんなに広くて立派なお寺が京都にはまだ
あったんですねぇ。
たくさんの紫陽花も、いつか目にしてみたいものです。

お玉…に、桂昌院に…。
大奥で知ったこの女性の名前が、まさかここでも
また聞くコトになるなんて!(笑)
そんな歴史があるお寺だったんですねぇ♪
by: みおさん | 2008/06/13 11:36 | URL [編集] | page top↑
#
ここは全く知りませんでした
3回も記事が書けるようなお寺も知らないなんて僕らしいですね
又紹介してください。
by: とうしろさん | 2008/06/12 18:30 | URL [編集] | page top↑

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