桜町大神宮と清涼院
尾張徳川の初代藩主、徳川義直の生まれた清涼院


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京都盆地の南東の桃山にある伏見桃山城を見たあとは、

北麓の新興住宅地を歩きます。ここは深草という地名ですが、
20年くらい前まではおそらく、野原か森だったでしょうね。

その中にあるのが桜町大神宮。大神宮といっても小さな社です。

平安時代の終り頃、藤原中納言成範は、桜があまりにも早く散るのを残念に思い、
天照大神にお願いしたところ、37日も咲くようになりました。
そこで、神に感謝の気持ちをもっていたところ、
夢に神童があらわれ、この深草の地に神社を建立するように告げたとのことです。
天下をとって伏見城(桃山城)に住んだ尾張出身の秀吉も、ここへ好んで花見にきたそうです。
今は住宅に囲まれていますが、かつては小高い丘にあるなかなかいい感じの神社だったと思いますね。

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もう少し歩くと「清涼院」との道しるべ


こじんまりとした、こぎれいなお尼寺です。

秀吉が亡くなり、豊臣家が大阪城にうつると、家康が伏見城に入城しました。
その時、側室・お亀を住まわせたのがこの清涼院。
お亀はここより10kmほど西にある石清水八幡宮の神職の娘でした。
家康はお亀をとても寵愛したとのことですが、お亀が生んだ子が五郎太。
後に家康は、自分の九男になる五郎太を、尾張・名古屋の初代藩主に指名します。
以後その子孫が尾張徳川家を継ぎ、名古屋の町を発展させました。
いや~、京都と名古屋も、こうやってつながってるんですね。
今は普通のこの住宅街を、かつては二人の天下人が行き来していたなんて、
なんか信じられないです。
この日も新しい発見で満足しました♪
京都盆地の南東の桃山にある伏見桃山城を見たあとは、

北麓の新興住宅地を歩きます。ここは深草という地名ですが、
20年くらい前まではおそらく、野原か森だったでしょうね。

その中にあるのが桜町大神宮。大神宮といっても小さな社です。

平安時代の終り頃、藤原中納言成範は、桜があまりにも早く散るのを残念に思い、
天照大神にお願いしたところ、37日も咲くようになりました。
そこで、神に感謝の気持ちをもっていたところ、
夢に神童があらわれ、この深草の地に神社を建立するように告げたとのことです。
天下をとって伏見城(桃山城)に住んだ尾張出身の秀吉も、ここへ好んで花見にきたそうです。
今は住宅に囲まれていますが、かつては小高い丘にあるなかなかいい感じの神社だったと思いますね。

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もう少し歩くと「清涼院」との道しるべ


こじんまりとした、こぎれいなお尼寺です。

秀吉が亡くなり、豊臣家が大阪城にうつると、家康が伏見城に入城しました。
その時、側室・お亀を住まわせたのがこの清涼院。
お亀はここより10kmほど西にある石清水八幡宮の神職の娘でした。
家康はお亀をとても寵愛したとのことですが、お亀が生んだ子が五郎太。
後に家康は、自分の九男になる五郎太を、尾張・名古屋の初代藩主に指名します。
以後その子孫が尾張徳川家を継ぎ、名古屋の町を発展させました。
いや~、京都と名古屋も、こうやってつながってるんですね。

今は普通のこの住宅街を、かつては二人の天下人が行き来していたなんて、
なんか信じられないです。
この日も新しい発見で満足しました♪
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Comments
今日も勉強になりました。
もみじは緑も赤も似合いますね~
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ブログ村から来ました♪
すっごく写真がお上手ですね~
私みたいななんちゃってタイプは脱帽です。。(苦笑)
子連れでオススメな場所を散策していますが
最近めっきり行く場所がなくなってきてこの場所にめぐり合えてよかったです。
週末が活動できるブログスペースなので
お返事やご訪問が出来ない時もありますが
どうぞ仲良くしてやってくださいませ♪
早朝、このあたりを何度かウロウロしたことがありますが、記憶に無いです。
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