同志社・新島襄の家
同志社の創始者、新島襄(にいじま・じょう)の家


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京都御所の東側に沿って走る寺町通り。見える校舎は鴨沂(おうき)高校。沢田研二さんの母校です。

鴨沂高校の少し南にあるのが新島襄の家。

この家の前は昔から何度も何度も通ったことがありますが、新島襄の家があるなんて、全く知りませんでした。

新島襄は1843年、今の群馬の武士の家に生まれました。
当時禁止されていた海外渡航にあこがれ、21才の時、函館から外国船にのりアメリカへ密航しました。
アメリカではキリスト教の洗礼を受け、大学にも通いました。
北海道大学へきたクラーク博士の理科の授業もうけたそうです。(クラークはこの縁で日本へきたそうです)
その後、日本は明治維新を迎え、新政府の海外使節団(岩倉使節団)がアメリカに来た時に、
英語力を買われ合流しました。
30才を過ぎて日本に帰り、京都にキリスト教系の同志社英学校をたてたのが、同志社のはじまりです。
府庁が植民地の大使館なら、こちらは大使の別荘のようです。

新島はその後、大学設立の運動をおこしますが、46才で倒れ亡くなりました。
今、同志社には小学校から大学まであります。

新島先生も梅が好きだったのかな?

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京都御所の東側に沿って走る寺町通り。見える校舎は鴨沂(おうき)高校。沢田研二さんの母校です。

鴨沂高校の少し南にあるのが新島襄の家。

この家の前は昔から何度も何度も通ったことがありますが、新島襄の家があるなんて、全く知りませんでした。

新島襄は1843年、今の群馬の武士の家に生まれました。
当時禁止されていた海外渡航にあこがれ、21才の時、函館から外国船にのりアメリカへ密航しました。
アメリカではキリスト教の洗礼を受け、大学にも通いました。
北海道大学へきたクラーク博士の理科の授業もうけたそうです。(クラークはこの縁で日本へきたそうです)
その後、日本は明治維新を迎え、新政府の海外使節団(岩倉使節団)がアメリカに来た時に、
英語力を買われ合流しました。
30才を過ぎて日本に帰り、京都にキリスト教系の同志社英学校をたてたのが、同志社のはじまりです。
府庁が植民地の大使館なら、こちらは大使の別荘のようです。

新島はその後、大学設立の運動をおこしますが、46才で倒れ亡くなりました。
今、同志社には小学校から大学まであります。

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Comments
いつも応援ありがとうございます。
また同志社も春には新入生で賑やかになるのでしょうね。
梅や桜を目にし、気持ち良い風を感じると
何だかいつも緊張してきます。
それでも春が待ち遠しい毎日です♪
見ることが出来て感激です。
同志社、行ったことはありませんが、青学や明学のような建物なのかなと想像しています!
あまり行った事がありません。
歴史を介しての鑑賞はやはり赴きが
違いますね。
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