五条大橋と六道の辻
五条大橋の牛若丸と弁慶

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京都を南北につらぬく鴨川にかかる五条大橋は、牛若丸と弁慶が出会った場所とされます。

五条大橋の東詰の地下には京阪電車・五条駅。

五条大橋から北を見た鴨川。右の高い山が比叡山。

平安時代の終わり頃、乱暴者の弁慶はかつて比叡山で僧として修業していたものの、自ら下山しました。
そのあと、この五条大橋近辺に出没しては、通りがかる武士を襲い、刀を奪っていました。
ちょうど千本目にあたる時に出会ったのが牛若丸(のちの源義経)でした。
弁慶が襲いかかってもヒラリとかわし、橋の欄干に飛び乗って弁慶を翻弄し降参させました。
それから一生、弁慶は牛若丸の家来となりました。
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四条と五条は約1kmの距離

五条大橋の北東の地区は六波羅蜜寺があることより、六波羅(現在は六原)とよばれます。

ドーナツ化でこの50年で人口は激減してると昨日の京都新聞夕刊に載っていました。

洛東中学。プロ野球、元広島カープの鉄人・衣笠祥雄さんの母校です。テレビのインタビュー番組で、「東山区は僕の庭みたいなもんですよ」とおっしゃっていました。

「六道の辻」。このあたりはかつてお墓が多くあり、三途の川の賽の河原といわれたそうです。
「六道」とは死後に進む仏教における6つの世界で、極楽・人間・修羅・鬼畜・餓鬼・地獄のことで、「辻」とは道の分かれ目ことです。
京都の町で死んだ人を五条大橋をわたってここまで運び、あの世へ送ったようです。

そして閻魔大王と会えるのはこの六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) 。平安時代の初め、小野篁(おののたかむら)がいたお寺です。

ガラス越しに大王と篁(たかむら)の像が見れます。


篁は昼間は朝廷に、夜はあの井戸をくぐって地獄の閻魔大王に仕えたそうです。
今は誤って落ちて地獄へいってしまわないように、竹のふたがかぶせてあります。

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京都を南北につらぬく鴨川にかかる五条大橋は、牛若丸と弁慶が出会った場所とされます。

五条大橋の東詰の地下には京阪電車・五条駅。

五条大橋から北を見た鴨川。右の高い山が比叡山。

平安時代の終わり頃、乱暴者の弁慶はかつて比叡山で僧として修業していたものの、自ら下山しました。
そのあと、この五条大橋近辺に出没しては、通りがかる武士を襲い、刀を奪っていました。
ちょうど千本目にあたる時に出会ったのが牛若丸(のちの源義経)でした。
弁慶が襲いかかってもヒラリとかわし、橋の欄干に飛び乗って弁慶を翻弄し降参させました。
それから一生、弁慶は牛若丸の家来となりました。
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四条と五条は約1kmの距離

五条大橋の北東の地区は六波羅蜜寺があることより、六波羅(現在は六原)とよばれます。

ドーナツ化でこの50年で人口は激減してると昨日の京都新聞夕刊に載っていました。

洛東中学。プロ野球、元広島カープの鉄人・衣笠祥雄さんの母校です。テレビのインタビュー番組で、「東山区は僕の庭みたいなもんですよ」とおっしゃっていました。

「六道の辻」。このあたりはかつてお墓が多くあり、三途の川の賽の河原といわれたそうです。
「六道」とは死後に進む仏教における6つの世界で、極楽・人間・修羅・鬼畜・餓鬼・地獄のことで、「辻」とは道の分かれ目ことです。
京都の町で死んだ人を五条大橋をわたってここまで運び、あの世へ送ったようです。

そして閻魔大王と会えるのはこの六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ) 。平安時代の初め、小野篁(おののたかむら)がいたお寺です。

ガラス越しに大王と篁(たかむら)の像が見れます。


篁は昼間は朝廷に、夜はあの井戸をくぐって地獄の閻魔大王に仕えたそうです。
今は誤って落ちて地獄へいってしまわないように、竹のふたがかぶせてあります。

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Comments
イメージとして、もっとごっつい感じがしていましたが、牛若と弁慶がまん丸していて、かわいいのに驚きました!!!
休みの日利用して、是非来てください♪
>とうしろ様
衣笠選手は強かったときの平安高校出身です。私も記事書くたびに勉強しています♪
>ゆったり人様
このブログしていると、平安時代のことが特によくわかるようになりました♪
>みお様
また京都へもどってこられたら、ごゆっくり見物してください♪
>花様
牛若丸は鞍馬の山で天狗にかわいがられていただけあって身のこなしは軽かったようです♪
sachikogirl様
手狭になったことと、バブルのころの地上げによって、郊外へ出た方が多いようです。でも最近、都心にマンションが建ちだして、少しもどってきているようです♪
かわいいけど(笑)
京都も真ん中の人口が減っているんですね。
私の地元もそうです。。どこも一緒なんですね。
この橋の上から牛若丸様も比叡山を見た
のでしょうか^^
以前はこの前を何度通っても何も感じませんでしたが
京都を離れた今、とても素敵な像に感じます。
そういえば五条近辺はゆっくりと散策していませんでした。
京都らしい街並みが今もしっかりと残っているんですねぇ。
多岐にわたる内容に感心しました。
やっぱり日本の中心だったんだと納得させる世界がありますね、とても勉強になります。
ありがとうございます。
毎回毎回知らないことがあります
京都に居る時教えていただきたかったです
ぽち
見たことが無い風景が結構ありました。
京都暮らしが短かったこともあるんですが、
もっといろいろ歩き回ればよかったな、
って写真見て思いました。
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