ふらり京都、旅して日本 西国街道17、神戸・湊川神社
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西国街道17、神戸・湊川神社

700年続いた武家政権下での天皇への最大の功労者、楠木正成を祀る湊川神社
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西宮から神戸まで西国街道沿いを約20㎞走り、神戸港でこの日のランニングは終了。
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JR神戸駅。山陽本線の起点で、東海道本線の終点
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駅舎は昭和5年築
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いい感じの柱
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神戸駅から北へ100mほど行くと、西国街道である多聞通り沿いに
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湊川神社
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祀られるのは楠木正成
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もちろん、ここへ来るのは初めて。
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楠木正成(別名・大楠公)は、南河内の出身。
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鎌倉時代末期の1331年、南河内で武将をしていた正成は、
鎌倉幕府の北条氏に対し兵を挙げた後醍醐天皇に呼応。

1333年2月には南河内の千早城にて、
関東から送られてきた北条氏の30万の幕府軍を相手に、
3か月間、戦をして勝利しました。

その大軍を正成が河内に寄せ付けて置いた結果、
幕府は京都、鎌倉の警護が手薄となり、
京都では足利尊氏が六波羅探題を、
鎌倉では新田義貞が北条氏を攻め、
同年5月に鎌倉幕府は滅びました。





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その後、後醍醐天皇が建武の親政を始めたものの、
1335年に足利が離反。

足利は北朝初代となる光厳上皇をたて、
楠木、新田は南朝初代となる後醍醐天皇につき、戦となりました。

戦は足利が優勢、
1336年5月、追い詰められた正成はこの湊川の地で、
弟と刺し違えてこの世を去りました。




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東京の皇居前広場には、明治時代に作られた、正成が鎧を着て馬に乗った像が置かれています。
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他にも武将は源氏、足利、徳川などたくさんいるのに、なぜ、「正成の像がここに?」って思ったりしてましたが、
700年続いた武士の世で、天皇に最も尽くしたのが正成なんですね。
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天皇が復権した明治時代、命を懸けて天皇を守ろうとした正成を、国民が見習うようにとのことで置かれたんでしょう。
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本殿の左手に、正成戦没地
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本殿右手には紅葉
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この日もとても勉強になった一日でした♪
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