東美濃2、木曽川・恵那峡

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5月5日のドライブ。
中津川、馬籠宿の次は西に向かって恵那峡へ。


電力王、福沢桃介(1868~1938)。福沢諭吉の婿養子。

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恵那峡は木曽川中流にあり、もともとは急流の渓谷でした。

ところが電力王・福沢桃介が1924年(大正13年)、ここに日本初の本格的大型ダムである大井ダムを建設。

そのダムによってできた、せき止め湖がとても美しいとのことで景勝地となりました。


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明治維新の1868年、埼玉県の貧しい家に生まれた桃介は、
川越中学に進み、勉学にすぐれたので16歳で慶應義塾に入りました。

慶應義塾の運動会で福沢諭吉の妻の目にとまり、19歳で諭吉の二女・房の婿となり福沢家に入りました。

その後、商社などいろんな事業を起こし、日露戦争後は株式投資に成功し成金とも言われ、国会議員も務め、

電力事業にも乗り出して、大同電力(のちの関西・中部・北陸電力)の初代社長となり、

木曽川を開発、この大井川ダムを造りました。


ふつうの観光地かと思ってましたが、日本最初の大型ダムだなんて、
やはり歴史が隠れているんですね。まさか福沢諭吉と関係してるなんて。

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湖のほとりにツツジ


自然を満喫できると同時に歴史の勉強にもなった恵那峡でした♪

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5月5日のドライブ。
中津川、馬籠宿の次は西に向かって恵那峡へ。


電力王、福沢桃介(1868~1938)。福沢諭吉の婿養子。

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恵那峡は木曽川中流にあり、もともとは急流の渓谷でした。

ところが電力王・福沢桃介が1924年(大正13年)、ここに日本初の本格的大型ダムである大井ダムを建設。

そのダムによってできた、せき止め湖がとても美しいとのことで景勝地となりました。


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明治維新の1868年、埼玉県の貧しい家に生まれた桃介は、
川越中学に進み、勉学にすぐれたので16歳で慶應義塾に入りました。

慶應義塾の運動会で福沢諭吉の妻の目にとまり、19歳で諭吉の二女・房の婿となり福沢家に入りました。

その後、商社などいろんな事業を起こし、日露戦争後は株式投資に成功し成金とも言われ、国会議員も務め、

電力事業にも乗り出して、大同電力(のちの関西・中部・北陸電力)の初代社長となり、

木曽川を開発、この大井川ダムを造りました。


ふつうの観光地かと思ってましたが、日本最初の大型ダムだなんて、
やはり歴史が隠れているんですね。まさか福沢諭吉と関係してるなんて。

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湖のほとりにツツジ


自然を満喫できると同時に歴史の勉強にもなった恵那峡でした♪

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