ふらり京都、旅して日本 佐渡5、黒木御所、真野御陵
FC2ブログ

佐渡5、黒木御所、真野御陵

承久の変(1221年)で佐渡に流された順徳天皇火葬塚
佐渡 521
  



・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・


佐渡島のほぼ中央付近。
佐渡 410


「順徳院 御配所跡」
佐渡 378


順徳院とは順徳天皇(1197~1242年)のこと。
佐渡 381佐渡 379



佐渡 380






・・・・・・・・・・




鎌倉時代の初期、
初代将軍・源頼朝の子孫が3代で途絶えたあと、
頼朝の妻・政子の実家の北条氏が執権となって幕府の実権を握りました。

ところが東では幕府の権力が強かったものの、
西では天皇も貴族もたくさんの荘園を持ち、権力を保っていました。

お互いが衝突することも生じるようになり、
1221年、後鳥羽上皇は執権・北条義時を討つ院宣を出し、
まずは幕府領地である京都守護を攻めました。

それを聞いた鎌倉幕府は関東の武士を集め京都にむかって進軍、
美濃や尾張で迎え撃つ朝廷軍を撃破、
さらに進軍し、京都周辺の大津瀬田や宇治などでも勝利し、
幕府軍が京の町へ一気に流れ込み京都を制圧しました。

そこで負けた後鳥羽上皇は隠岐へ、
その子である順徳天皇はこの佐渡へ流されました。




佐渡 382


順徳天皇がここへ来たのは24歳のとき。
佐渡 383



佐渡 384


まわりは田んぼばかり
佐渡 392



佐渡 388


5年前には隠岐の後鳥羽上皇の住居跡にも行きました。雰囲気は似ていますね。
佐渡 389


ずいぶん遠くへ来たって思ったでしょうね。。。。
佐渡 396


この石碑は順徳天皇がここへきたばかりのとき、村人たちと近くの山へお参りに行ったときの逸話。
佐渡 387



大正5年、昭和天皇が皇太子だったときの訪問記念碑
佐渡 401







・・・・・・・・・・・


さて黒木御所から7キロ南、海を見下ろす丘の上。
佐渡 534


ここにあるのは順徳天皇火葬塚。通称・真野御陵。
佐渡 535



佐渡 511


父の後鳥羽上皇は自分が院宣をだしたら、武士は皆、朝廷側につくだろうと思っていたのに、
佐渡 512


実際はそうではなく、武士たちは直接の主君である幕府に従ったそうです。
佐渡 514



佐渡 525



佐渡 526


順徳天皇はこの島へ来て22年、一度も都へ戻ることが許されず、この地で46歳の生涯を終えました。
佐渡 520


ここで火葬されたものの翌年藤原康光によって骨は都に持ち帰られ、
佐渡 521


大原にある父・後鳥羽上皇陵のそばに埋葬。
佐渡 527



佐渡 517



佐渡 529



佐渡 531



・・・・・・・





車で海岸へ
佐渡 542


順徳天皇もこの浜へ来たのかな。
佐渡 543



佐渡 540


きっとあの岩の上に立って、都の方向を眺めていたこともあったでしょうね・・・・
佐渡 538
関連記事
スポンサーサイト

人気ブログランキング→ここをクリック
08:31 | 新潟 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑
佐渡6、佐渡金山 | top | 佐渡4、トキの森公園

Comments

post a comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackbacks

この記事のトラックバックURL:
http://jeanpaul1970.blog87.fc2.com/tb.php/1490-b3c534b7
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)