堺、与謝野晶子と千利休

・・・・
・・・
ゴールデンウィークも終わりましたね。
皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか?
私はここ数年、ゴールデンウイーク中は毎年旅行へ行ってたのですが、
今年は日帰りで京都周辺をお出かけしていました。
・・・・・・・
さて記事は二年前の真夏、大阪府の堺の中心部。
先日、知人から「利晶の杜」を訪れたというのを聞き、
私も2年前に訪れたのを思い出しました。
ところがとても印象深い一日だったのに、
記事を書いてないのに気付いて、
今回書くことにしました。

路面を走る阪堺電車

歩道の脇のこれは・・・

与謝野晶子生家跡。

与謝野晶子は明治11年、ここにあった菓子商駿河屋の三女として生まれました。

子供のころから源氏物語を好んで読んでいた彼女は、
大人になって女心を率直に表す情熱的な和歌を詠み、一世を風靡したとのこと。


・・・・・・・・・
さらに近くを歩くと、

千利休(1522~1591)宅跡。

利休は商家の子として生まれ、茶の湯に傾倒し、信長の茶頭となり、
その後秀吉の茶頭として大きな茶会を催したり、
秀吉の下に集まる戦国大名たちに茶を振舞いました。

秀吉の命令で切腹し、千家は取りつぶされましたが、
利休の孫の宗旦が再興し、
宗旦の子(宗守、宗佐、宗室)が、
それぞれ武者小路千家、表千家、裏千家を興して現在に至ります。

戦国時代が舞台の大河ドラマには必ずと言っていいほど登場しますね。

・・・
2015年、二人の家跡の近くに建てられた「利晶の杜」

そういや、新潟の海辺を一人で歩いた時も与謝野晶子の歌碑があったな~

与謝野晶子の実家の菓子屋を再現

・・・・・
さて阪堺電車に乗って南の終点の浜寺公園に到着


左手の林が浜寺公園


ここにも与謝野晶子の歌

海

花壇にはバラ

黄色のバラですね。夏らしく元気に咲いていました♪

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ゴールデンウィークも終わりましたね。
皆様はいかがお過ごしでしたでしょうか?
私はここ数年、ゴールデンウイーク中は毎年旅行へ行ってたのですが、
今年は日帰りで京都周辺をお出かけしていました。
・・・・・・・
さて記事は二年前の真夏、大阪府の堺の中心部。
先日、知人から「利晶の杜」を訪れたというのを聞き、
私も2年前に訪れたのを思い出しました。
ところがとても印象深い一日だったのに、
記事を書いてないのに気付いて、
今回書くことにしました。

路面を走る阪堺電車

歩道の脇のこれは・・・

与謝野晶子生家跡。

与謝野晶子は明治11年、ここにあった菓子商駿河屋の三女として生まれました。

子供のころから源氏物語を好んで読んでいた彼女は、
大人になって女心を率直に表す情熱的な和歌を詠み、一世を風靡したとのこと。


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さらに近くを歩くと、

千利休(1522~1591)宅跡。

利休は商家の子として生まれ、茶の湯に傾倒し、信長の茶頭となり、
その後秀吉の茶頭として大きな茶会を催したり、
秀吉の下に集まる戦国大名たちに茶を振舞いました。

秀吉の命令で切腹し、千家は取りつぶされましたが、
利休の孫の宗旦が再興し、
宗旦の子(宗守、宗佐、宗室)が、
それぞれ武者小路千家、表千家、裏千家を興して現在に至ります。

戦国時代が舞台の大河ドラマには必ずと言っていいほど登場しますね。

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2015年、二人の家跡の近くに建てられた「利晶の杜」

そういや、新潟の海辺を一人で歩いた時も与謝野晶子の歌碑があったな~

与謝野晶子の実家の菓子屋を再現

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さて阪堺電車に乗って南の終点の浜寺公園に到着


左手の林が浜寺公園


ここにも与謝野晶子の歌

海

花壇にはバラ

黄色のバラですね。夏らしく元気に咲いていました♪

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近くに老舗の和菓子屋やお蕎麦屋さんもありましたね
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