播州赤穂、赤穂義士

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今年もいよいよあと1週間。

私にとってはこの一年、旅は北陸、四国九州、信州に東京4回と、
まあまあ充実していました。

でも、最も大きかったことは、7月からジョギングをはじめたことかな。
おかげで、人生初のフルマラソン(42.195km)も完走しました。

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さて記事は、今月5日の兵庫県南西部の赤穂市。


姫路から海沿いを走る赤穂線に乗って30分。
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12月14日は赤穂義士、吉良邸討ち入りの日。
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千種川
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向こうに見えるのは、20㎞先の小豆島
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街を散歩していると、赤穂城址に。赤穂といえば赤穂義士、忠臣蔵。
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これまで赤穂義士に関係する場所をいくつも訪れ、記事にしてきました。

京都では山科の大石神社と今熊野ゆな荒神、
そして東京両国の吉良邸、
吉良上野介が藩主をつとめていた愛知県吉良吉田などです。

でも、この本家本元の赤穂に来るのは生まれて初めて。

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1701年3月、赤穂城主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ・33歳)は、
参勤交代で江戸にて幕府のお勤めをし、
吉良上野介(60歳)の補佐役をしていました。

ちょうど朝廷からの使いが挨拶にきていたとき、
そのもてなしを浅野は任されていました。

ところが、浅野は使者が来ている江戸城の中で、
いきなり吉良に刀で切りつけました。
吉良は傷を負ったのみで命にはかかわりませんでしたが、
浅野には即刻切腹の命が下り、切腹しました。



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赤穂藩も取り壊しになり、家臣たちは浪士として全国に散らばったり、
町人や百姓になったりしました。

ところが、京都山科に隠れいていた大石内蔵助をはじめとする家臣たちは、
「殿様が切り付けたというのは、吉良によほどひどい目にあわされていたに違いない」と考え、
仇をとるために、翌年の12月14日、47人が江戸に集結、
吉良邸に討ち入りし、吉良の首をとり、主君の墓前にささげました。



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お城の北側にほぼ隣接して、大願成就を果たした赤穂義士たちを祀る大石神社
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大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は討ち入りを指揮した筆頭家老
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もちろん、討ち入りした義士たちにも切腹の命が下され、逃亡した一人を除き、46人が切腹しました。
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今では考えられない話ですね。
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でも義士の方たち、今でも天国からこの町を見守って下さっているのかな・・・・・
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