ふらり京都、旅して日本 愛媛4、正岡子規と夏目漱石

愛媛4、正岡子規と夏目漱石

伊予鉄道市内線・道後温泉駅と坊っちゃん列車
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愛媛県の県都・松山市の中心にある伊予鉄道松山市駅から少し南へ歩くと、
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子規堂。
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ここは正岡子規(1867~1902)の文学仲間だったお寺の住職が、
子規の業績を残すために、子規が17歳まで暮らした家を復元した記念館。
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子規は松山生まれ。
東大に進学して夏目漱石と出会うも、試験に落第して大学を中退。
そのまま東京で新聞記者となって文芸活動を続け、
1897年には俳句雑誌「ホトトギス」を創刊。
その後松山に戻りましたが、結核に侵され1902年、34才で死去。


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ベースボールを「野球」と翻訳したのも子規。その功績で没後百年後の2002年に野球殿堂入り。
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「打者」「走者」「飛球」「四球」なども子規の翻訳。好きだったのでしょうね。
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さてここは道後温泉駅
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ここへ来るのは25年ぶり。
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松山といえば漱石の「坊っちゃん」の舞台として有名。
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夏目漱石(1967~1916)は東京生まれ。
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生まれてすぐに養子に出され、
家庭環境にはあまり恵まれなかったものの、
23歳で東大英文科に入学、
卒業後28歳でこの松山に中学校英語教師として赴任しました。

その翌年には熊本に移り教師として4年滞在し結婚、
33歳から2年半のイギリス留学を経て、36歳で東大の講師となり、
37歳で雑誌ホトトギスにて自身初めての小説「吾輩は猫である」掲載しました。


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松山での生活は1年間だけでしたが、約10年後、このときの経験を基に「坊っちゃん」を執筆。
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子規と漱石はともに明治が始まる前年の1967年生まれ。
すなわち明治の年号が二人の年齢。

22才のとき東大で知り合い、
それから子規が亡くなるまで、親友として交流がありました。



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道後温泉本館。建ったのは漱石赴任の前年。
漱石も何度も来たそうで、「坊っちゃん」にも主人公がここの風呂で泳ぐ話がでてきます。
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もちろん私もこの温泉で入浴。少し熱めなのが気持ちよく、疲れが吹っ飛びました。
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そのあとは隣の居酒屋で一人ビール。夏なのにフグ皮がいただけて大満足。
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店を出るとすっかり夜に。

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懐かしい日本を感じた道後でした♪
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