隠岐4、隠岐神社と後鳥羽天皇

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黄金連休の隠岐、その4は中ノ島の隠岐神社



菱浦港からレンタカーにのり、10分足らずで隠岐神社へ。
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桜の木。満開ならすごくきれいでしょうね。
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左にはツツジ
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あの石段の上が本殿。ご祭神は後鳥羽天皇(1180~1239)。
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1192年、源頼朝により鎌倉幕府が開かれましたが、東国における幕府の力は強いものの、
近畿・西国では朝廷の力が強く、後鳥羽天皇が皇位を子に譲り、上皇として院政を行っていました。
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ところがしだいに、朝廷と、源氏に代わって幕府を仕切る北条氏との間に軋轢が生じ、
1221年5月、後鳥羽上皇は北条氏を成敗するために兵を向けました(承久の変)。
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しかし、武士を仕切る北条氏の力は圧倒的で、
たったの1か月で後鳥羽上皇は敗れ、7月にはこの隠岐に島流しにされました。
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後鳥羽天皇が41才から19年間暮らした行在所跡
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 都にいたころは、新古今和歌集を編纂させるほどの和歌好き。
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隠岐での最大の楽しみは、都から届く知らせと和歌を作ることだったそうです。
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火葬塚。望郷の念もかなわず、この地で生涯を終えました。
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車で裏山である金光寺山へ。
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写真左手の山のむこうあたりが隠岐神社。あの田んぼで後鳥羽天皇が食べる米を作っていたんですね。
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この隠岐には、後鳥羽天皇の400年前、朝廷に仕えていた小野篁(おのの・たかむら)も1年あまり流されていました。
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遣唐船に乗り込む予定だった篁が、遣唐使のリーダー藤原常嗣と争い、乗船しなかったことが理由。
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でも1年ほどで都へ帰ることを許されたとのこと。
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東方向。後鳥羽天皇もきっとここから海の向こうを見て、都へ帰ることを夢みていたでしょうね♪
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