ふらり京都、旅して日本 会津若松2、白虎隊の飯盛山

会津若松2、白虎隊の飯盛山

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会津若松に泊まった翌朝(8/28)、
幕末の会津戦争で白虎隊が自刃(じじん)した飯盛山へ行きました。


飯盛山(いいもりやま)は会津若松の町の中心にある鶴ヶ城から、
北東に3㎞ほどのところの小高い山


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石段で上の方まで
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この川は江戸時代の始め、猪苗代湖から引かれた用水
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中がサザエの殻のようになっているとのこと。残念ながら朝が早すぎてまだ入れませんでした。
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江戸時代、会津藩では約3000人いた武士を年齢によって分け、
50歳以上を玄武隊、36~49歳を青竜隊、18歳~35歳を朱雀隊、
そして16~17歳を白虎隊と呼びました。

実戦の戦力となるのは青竜・朱雀隊で、
白虎隊は殿様の警護などを担当することとなっていました。


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明治維新の戊辰戦争では、薩摩・長州が中心となる新政府軍が、
幕府の命令で京都守護職を務めていた会津藩を、
朝敵(天皇の敵)として攻めに来ました。

最新の外国製の銃や大砲をもつ新政府軍に対し、
会津は圧倒的に劣勢で、白虎隊までが出陣します。


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飯盛山の麓の滝沢本陣から出陣した白虎士中二番隊は、
猪苗代湖近くの戸の口原で敗れ、
20名だけが、会津方面に逃げ帰りますが、
そのときこの飯盛山から炎上する町を見ました。

「生きて敵に捕まるという恥をさらしてはならぬ」と、
皆は、自ら刀を体にあて、命を絶ちました。

ただ一人だけが生死をさまようところを通りがかりの人に助けられ、
この話を後世に伝えました。





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白虎隊の20人はこの用水のトンネルを通って逃げてきたとのこと
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会津若松の町
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石段を登りきると白虎隊の墓 
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自刃して亡くなった19人
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南側にはたくさんの墓
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20人はこうやって町とお城をみたそうです。
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今は平和ですが、燃え上がる町をどんな気持ちで眺めたのでしょうか。
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決して繰り返してはなりませんね・・・
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